16.狭さからの脱出Ⅰ

 団地族なんて呼ばれ羨望の的となったときを経て、住宅団地は80年代になると、高・遠・狭と揶揄された。こんな中、分譲住宅団地に大きなウェーブが登場してくる。それは、狭さからの脱出という一大ムーブメントだったように思う。

 もちろん狭さへの対処は、住宅団地に限られたことではない。当時の一般のマンションにおいても越えられない問題として横たわっていた筈だ。

 例えば、かつての同潤会アパートでは、わずかな空きスペースに張り出した居室が上下階で異なりながら改築されていたり、市街地にあるオフィスビルでは、最上階付近の壁色がわずかながら既存部分と違いを見せているなど不自然な容姿に出会うことがあったが、制度上からすると、オフィス街に関しては都市計画法や建築基準法に合わせて増築が進められ、同潤会アパートでのそれは、制度面をクリアして行われてきた増改築であったのかというと、そうではないのが事実だろう。

 一方、URの賃貸・分譲住宅でも、概ね昭和40年代までに供給されたストックで居室空間の増大を図ろうと居住者が不法に増築してしまうケースが見られトラブル化することがあった。筆者の駆け出し時代のことだが、バルコニー部分に居室やサンルームを造るとか、1階軒下部分を利用し半地下式の居室を造るといったことがあった。

 ここで取り上げる増築制度は、83年に大阪府堺市のURの分譲住宅である下野池(しもついけ)第2団地(70年入居、410戸)での実例を起源とするもので、同住宅では、「住み続けられる住宅の確保」を目標に住民が中心となって81年頃から住棟の増築問題の検討を開始し、民間企業とタイアップし83年に1棟の共同増築に成功し、86年までに全16棟中5棟の共同増築を行った。

 同住宅団地は全棟、階段室型中層5階建(1棟10戸ないし40戸で構成、北側階段室、南側ベランダ)、全戸3DKタイプで専有床面積は約48.85㎡、増築によって南面2居室、旧ベランダ部分をユーティリティとし洗濯室、書斎、物置等に活用24.92㎡を増床し計73.77㎡の5DKタイプにするというものであった。

 この実現の際の法的側面は、いわゆる管理規約における建築協定のなかで、増築禁止の項目を住民総会を通し、法31条第1項の基準を充たす承認決議を得て改正し、一住棟の全組合員が増築を希望すれば増築できると改めることが必要であった。なお、法31条は規約の設定、変更及び廃止についての規定で、組合員、及び議決権の各四分の三以上の多数による承認決議を持って実施できるとしている。同住宅管理組合は、80年から82年にかけ定期、臨時の住民総会を開催し順次管理規約の見直しを区分所有者に説明し、住民の増築に対する理解、コンセンサスを得るために相当の時間をかけて徐々に進行させていったとされる。

 

<居室増築の方法>

https://www.mlit.go.jp/common/001064902.pdf

 これを受けて、URは増築事業制度を87年度に創設、スタートさせた。当時のUR分譲は、全国に約21万戸。増築を希望する声がかなり寄せられていたとする。とはいえ、首都圏でも30棟1000戸に満たない実績を残し、創設からほぼ5年で導入実績を失った。83年以降、90年代になると、もはやバブル、増築の魅力よりは建替えへとシフトする。これもまた現在、先細りの傾向を示している。何処か同じ雰囲気なのだが…。次回は増築運動の仔細を覗いてみよう(つづく)。

【訂正・お詫び】当シリーズ第14回で、定期金債権であり、その支分権は3年で消滅時効にかかるというのは5年の誤りでした。お詫びして訂正します。

明治学院大学法学部兼任講師・本紙客員編集委員
竹田 智志

2019年8月号掲載